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ロンドンで働いてみた

Cambridge MBAを2010年夏に終了後、そのままロンドンで仕事してみています。 ここでの体験を日本で役立てられるよう、日々勉強しています。
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04.19.13:37

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  • 04/19/13:37

03.23.04:03

30歳からの学園祭 "May Ball" その1

基本的に明朗快活なお子さんではなかった自分の高校時代、大学時代を
振り返ると、学園祭的なものに積極的に関わったことは一度もない。

祭りの雰囲気は好きだったし、準備期間に生まれる学祭ラブみたいなもの
をうらやましく思ったりもしていたが、そういうのはまずクラスのリーダー格が
活躍するもので、そこにはハマれない自分のキャラを嘆き、プレハブの部室
でひとり悶々としたりしていた。

それから10年以上も経ち、いまここでまた学生をやっている。ここらで一度、
大学院デビューしちゃってもいいんじゃないだろうか。
 

明確にそう思って始めたわけではないが、因果はめぐり、いまMay Ball
いうのにハマってしまっている。

May Ballというのはケンブリッジ大学に代々伝わる、年に一度のパーティー
である。ケンブリッジ大学にある31のカレッジが、それぞれ企画を練り、内装
を凝らし、ディナーを用意し、バンドなんかも呼んで、夜9時から朝6時まで
一晩中騒ぐ。一応ドレスコードは蝶タイ&タキシードだが、1年の授業が全て
終わったタイミングの打ち上げムードでずっと飲み明かすので、後半は(多分)
かなりグダグダになる。

要は学校祭なんかでいう後夜祭の部分だけをやるイメージだが、出席者全員
から100ポンド前後の高い入場料をとってやるだけに、相当気合いの入った
イベントになる。最も大規模なカレッジになると、予算規模は百万ポンド以上
というから、1億円以上を一晩で飲んでしまう計算(こういうカレッジになると
花火をバンバン打ち上げたり、超メジャークラスの歌手を呼んでしまったりする)。


去年11月、自分の所属する
Hughes HallのMay Ball運営委員会につい加わ
ってしまい、以降、Ticket Sales Officer、要はパー券売り係をメインに精力的
に働いてしまっている。

しかしやってみると、これがキツい。何がキツいって、自分の経験したことの
ないイベントの素晴らしさを世に訴えるというのはそもそもやや無理がある。
その上、どこかハイテンションになれない自分の人間性が、「一緒に騒ご
うぜ!」みたいなさわやかな殺し文句を使うのをためらわせる。


それでもパーティーの日は近づく。あと3カ月。Hughes Hallは小規模なので
百万ポンドとは言わないが、数万ポンド分は売らなければならない。徐々に
目標は見えてきたが、あともう一押し。最近は他の運営委員会メンバーと
一緒に、カレッジ内外のコミュニティイベントに顔を出しては営業したりも
している。勉強?聞かない聞かない。


そもそもがきっと、そっち方面で不完全燃焼だった少年時代へのリベンジが
心理的なドライブ。劣等感は向上心に変えられるはず。と、重くとらえつつ、
働くほどに友達が増える喜びを感じつつ、ああでももう周りにいるのは

女子高生じゃないんだなと手遅れ感をかみしめながら、祭りの準備をしている。
ちょっと長めのプロジェクトになるので、また続報致します。


最後にどうでもいいですが、ケンブリッジも春めいてきました。田舎ですけど、
いいとこですよ、ということで写真なぞを。

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02.14.19:07

仮面パーチー

人生30年、それなりに年をとると色々あるが、「仮面パーティー」はおそらくイギリスで
学生やってない限り一生来なかっただろう。


映画「アイズワイドシャット」で見たことくらいしかないので、正直、個人的には、偏見と
妄想たっぷりでの参加。大丈夫かオレ。そんな現場でやっていけるのか。
 



今回のイベントは、いま行ってるJudge Business School主催。毎年2月に行われる、
イタリア・ベニスのカーニバルを模したものだそうう。ドレスコードはタキシード+仮面。
仮面は昼間雑貨屋で買う。一番安い(3.99ポンド)のを選んでしまうあたりは島国根性
なのか。
 

土曜夜7時、ケンブリッジ市内のとある洋館(イギリスだからそもそも全部洋館なんだが、
この建物はまさに日本人が考える「洋館」)でパーティー開始。
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 カクテルレセプション、ファイヤーショー、テントの中でお茶会等、約4時間ぶっつづけで
西洋カルチャーを堪能。
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学校主催のイベントなので当然映画のようなことは起きないが、それでもけっこうお腹いっぱい。

最後はこっちのパーティーでお決まりの、いわゆるディスコで締め。アジア系同級生とともに
欧米か、とぶつぶつつっこみながら、それでも一応楽しんでまいりました。

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01.24.10:17

日本人コミュニティでえらそうに話す

今日はケンブリッジの日本人コミュニティである十色会という集まりでプレゼンをしてきた。

プレゼン自体は、自分が商社でやってきたエネルギー業界の話をしただけなので何のことはないが、ケンブリッジにいる研究者たちから見た、素朴な質問・意見を色々聞けるのは有意義だった。

自分がやってきた化石燃料の世界は、最近のいわゆる新エネルギーに比べて、マスに訴える努力をしてこなかったところがあり、あまりそこでの悩みが世間で知られていないのだが、本当は世論とか政治に支えてほしいと部分もたくさんある。これからはもっと出てくるはず。

自分の表現力でどこまで伝わるかは微妙だが、自分の持ってきた問題意識を一生懸命伝え、将来サポートが得られるようにしていきたいと思う。


この日の打ち上げでは、ケンブリッジで学部生をやっている子にも何人か会えた。この環境で勉強している学生でも、自分の将来を一分野の研究に捧げるにはまだまだ抵抗があり、逆に海外で手広く商売を展開している商社は魅力的に映るという。そうか早く海外に来たからって将来のゴールが見えてるわけではないんだなと変に感心しつつ、こういう頭のいい子たちに喜んで入ってもらえる会社を作らんとあかんなと思った。

映像は今日プレゼンしたLNG業界の中で最も勢いのあるカタールの特集。
こいつらにこれからどうやって食らいついていくかが、一つの勝負である。


01.08.06:31

カレッヂ生活

職業柄、通訳・翻訳は日本の取引先相手によくしてたのだが、今回イギリスに来て初めて日本語の英訳をする機会があった。ただし題材はこれ。
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http://image.blog.livedoor.jp/akechi_mitsuhide/imgs/7/d/7d8ff427.jpg
「明智左馬之助湖水渡之図」という。
 
現在自分は、ケンブリッジ大学に全部で31あるカレッジのひとつ、Hughes Hallというところに寝泊まりしている。
 
このカレッジは1885年に創設された、ケンブリッジの中では比較的新しいカレッジで、当初は女性のみを受け入れるカレッジだったという。その創設メンバーのHughes女史は、19世紀末のイギリスで巻き起こった女性への教育解放運動の先駆者で、カレッジ設立後、今度は世界各国を訪れ、気合の入った外国人学生をHughes Hallに招く運動を展開したという。
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(↑ Hughesおばさん、若い頃の写真しか残ってないのはさすが)

その中で、同女史は特に日本に長く滞在し、1900年当時の日本財界にも顔が利いたそうなのだが、その流れで美術品をいくつか持ち帰り、その一部はHughes家で保管していたらしい。
 
今回それが改めてカレッジに寄贈されることになったはいいが、果たしてこれは何の絵なのか、Hughes家でももうあんまり分かっておらず、ところどころに書いてあるChinese letterは何を意味しているのか、お前分かるか、というのが今回の趣旨。
 
正直、書いてあるのは漢文調で、おいおいそんなん分かるか、と思ったのだが、GoogleとWikipediaを駆使しまくり、なんとか趣旨は解読。ついでながら、絵(版画だったけど)自体も、明智光秀が秀吉に敗れた際の明智家没落のワンシーンだったらしく、さも知ってたかのようにWikipediaの英訳をおまけで付けて、作業完了。しかし、漢和辞典ってオンラインでは無いのね。
 
作業自体は誉められたものではなかったが、日本語Googleを叩きながら聞いたカレッジ初期の逸話はそれなりに奥深く、歴史があるというのはそれだけですげえなあと思っていた。
 
考えてみれば1900年というと、日英同盟ができ、日露戦争に突入し、イギリス製の軍艦でロシアに勝ってしまって一躍世界から日本が注目された頃か。そこから100年も経って、まさかオレとGoogleに訳されるとは思ってなかっただろうが、とにかくジャパニーズ戦国武将の名が末長くケンブリッジに残ってくれればと願う。