弊訳:ある人Aがある人Bを、Bの保護されるべき性質(年齢、障害、既婚/独身、人種、宗教/信条、性別、性的志向)のために他の人より冷遇した場合、これは差別である。
2. Indirect Discrimination - 間接的差別
A person (A) discriminates against another (B) if A applies to B a provision, criterion or practice which is discriminatory in relation to a relevant protected characteristic of B's.
弊訳:ある人Aがある人Bに対し、Bの保護されるべき性質に関連する差別的な条件、基準、慣行を適用した場合、これは差別である。
1.は分かりやすいと思う。要は、黒人だから部長になれない、とか、イスラム教だから採用しない、とかはダメです、ということ。
2.はちょっと分かりにくい。もっと詳しい解説をググると、長いけど、
"Indirect discrimination occurs where the effect of certain requirements, conditions or practices imposed by an employer or education provider has an adverse impact disproportionately on one group or other. Indirect discrimination generally occurs when a rule or condition, which is applied equally to everyone, can be met by a considerably smaller proportion of people from a particular group, the rule is to their disadvantage, and it cannot be justified on other grounds."
弊訳:間接的差別は、雇用主や教育者によって課される要求、条件、慣行が、特定の集団だけにとって不利な効果をもたらす時に起きる。一般的には、全員に適用される社内ルールや条件が、グループの一部の人にしか守れない場合、守ると不利になる人がいる場合、またはその他の理由で正当化できない場合が間接的差別である。
要は、「お前はイスラム教徒だからクビだ」とか言われないまでも、「お祈りを行うべき時間に毎日営業会議がある」とか「社員食堂でトンカツ以外の選択肢がない」とかはダメだということ。
さて、これらを厳格に守るイギリスの大企業で何が起きるかというと、1.の直接的差別に関しては言うまでもなく、この点に関する教育は入社時にまる半日かけて行われ(俺のような短期労働者でも受ける)、その後も厳重にチェックされる。
カルチャーショックだったのは2.の間接的差別に関してで、例えば5時半以降は原則、正式な会議は禁止。なぜかというと、出席できない人がいるから。その時間だと、子供を持つ親や、病気、宗教などで当然出られない人がいる。その人達の権利を守るためには、みんなそっちに合わせなさいというのが会社のメッセージだ。
これは日本的な「気合いでがんばる」「長時間働く人が偉い」みたいな文化からすると相当チャレンジだ。個人的に、こういう文化自体が大嫌いだが、意外と「日本人の勤勉さが日本の競争力の源泉」みたいな論説は多く(俺はこういうろくに分析もできてないでロマンスに逃げる論説も嫌いだ)、これをやるとなると、弱者に合わせるなんて組織として退化じゃないか、とかいう人も必ずいるだろう。
だが、要は平等とは、かっこいいお題目ではなく、コストをかけて行うべき施策なのであり、そこでは今までのマインドセットの変化が必要だということだ。グローバル企業になるならば、「一億総火の玉」みたいな根性論ではなく、組織の多様性とそこから生まれるアイディア、リスクヘッジなどをとるべきだ。
そもそも日本企業の場合は、1.の直接的差別すら排除できていない。日本採用組と海外採用組の待遇に圧倒的な差がある、とか、日本人で会議やる時に非日本人を呼ばない、とかもう最低である。今から一つずつ直していかねばならないが、その前にどこかで訴訟でも起きるんじゃないか、と心配でならない。やられたら変わるのかもしれないけど。
学校を卒業する時に書いた、「これからは日本企業のグローバル化について書きます」という宣言が守れてないので、これからしっかりしていきたいと思う。
グローバル化、というとやや焦点がぼけるけど、もっとはっきり言うと、いわゆる日本企業が、日本人以外の人材をどう活用してどう成長戦略に生かすかというテーマだ。
なぜこのテーマなのか、というと、仮にもイギリスで1年間、外側から日本を見てきて、日本の将来を考える上で、これが最も大きなチャレンジになりそうだからだ。これは業種問わず、会社の大きさ問わず、(これから伸びていきたい)全ての日本企業に共通するテーマだと思う。
自分の所属する総合商社もこの例に漏れず、というか商社はむしろこの分野では遅れていると言っても過言ではない。結局総合商社というのは日本の明治時代以降の急速な成長にうまく乗っかり、時にはそれをリードしてやってきたのであって、日本自体が細っちゃいますという状況はかつて経験したことがない。
だから、海外のオペレーションも全て日本人がやってるし、日本の経済界に支えられてきたこれまではそれでよかった。
ところが、言わずもがなだがこれからはそれではやっていけない。変わらなきゃいけない。
しかし、ここが難しいのだけど、みんなが変わらなきゃいけないと思ってても、なかなか変化は起きない。なぜなんだろう?どうすれば本当に変われるのだろう?というのが目下一番の興味だ。
いわゆる企業の国際化を語る時、その企業の現状を説明するのに分かりやすい目安は、かなり古典的な(1969)論文なのだけど、WhartonにいたHoward Perlmutterという人の分類がある。これによれば、企業の国際化度合いには
・Ethnocentric: 本国の人間がauthorityを持ち、本国からの派遣者が各国のビジネスを監督
する。戦略も本国が決める。海外人材はアシスタント的役割。ビジネス上の
意思決定は本社が行う。
・Polycentric: 海外の店では現地の人間が採用され、マネージャーになる。海外人材が本社
の要職につくことはないが、現場では自治が認められる。逆に本社の人間が
現地に行くことも少なくなる。
・Regiocentric: 海外の店をまとめた地域本部的なものができ、その中で意思決定がなされ
る。本社は地域オペレーションに干渉せず。現場採用の人間は地域本部で
出世していく。
・Geocentric: 国籍は全く関係ない。現地採用された人が本社の社長になることもある。本社
からの一方的な伝達ではなく、地域との双方向コミュニケーションで戦略が
決められていく。
の4つの段階がある。イメージ図はこれがわかりやすい。
これを使うと、おそらくほとんどの日本企業はEthnocentric段階。商社もそうだし、最近の分かりやすい例で言えば「日本の社員全員がグローバル人材」宣言をした日立なんかはこの好例だろう。要は全部日本人でやります、と言ってるのだから。
リーマンとくっついた野村證券では、海外のコーポレート部門は旧リーマンの人に任されるようになってきている一方、海外から日本人が引き揚げる例が増えている。これはPolycentric段階、もしくは徐々にRegioncentric段階に入りつつあると言える。
逆に言うと、いわゆる欧米系の企業が国際的、といっても、Geocentric段階まで行っているかというと、みんながみんなそうではない。要はその企業にとって何が大事かである。
さて、ここまで書いて、「ではEthonocentric段階にある日本企業が、何故これからもっと国際化しなければいけないのか」をしっかり考える必要があると思う。
なぜなら、要はここでの考察が足りないから、軸がブレて「いいよ別に国際化なんかしなくて」という勢力に負けてしまうからだ。忘れてはいけないのは、大きな組織になればなるほど、反対する人は必ずいるということ。
「国際化することが自動的にいいこと」みたいなナイーブな思い込みではこういうおっさんに絶対に勝てない。
よって、俺の考える国際化する理由なのだが、この次のエントリに続きます。