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ロンドンで働いてみた

Cambridge MBAを2010年夏に終了後、そのままロンドンで仕事してみています。 ここでの体験を日本で役立てられるよう、日々勉強しています。
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04.24.05:45

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  • 04/24/05:45

01.22.08:57

ややしんど

2学期(Lent Term)が始まって以来、ちょっとばかり忙しい。


毎週エッセイを提出する授業を選択したためで、自分で選んだのでしょうがないのだが。
 

この上、よせばいいのにカレッジのイベント担当を引き受けてしまい(これは今度また詳しく書きます)、これも想定以上に時間がかかり、JALとかハイチとか色々あるのにあまりニュースも見れていないのが無念。


とはいえ、授業も前学期より実りのあるものが多く、カレッジはカレッジで、800年大学をやっているケンブリッジならではの伝統を感じる部分も多く、勉強にはなっている。


そういえばその選択した授業で、投資銀行の歴史について学んだ。全く知らなかったのだが、いわゆる投資銀行は元々は19世紀に大西洋で貿易をしていた商人たちが源流らしい。彼らは取引をする中で貿易金融、保険などのファイナンス技術に長け、産業が発展して大資本が必要になるのにあわせ企業向けファイナンスに以降していき、海底横断ケーブルや長距離鉄道などの巨大ディールをまとめていったという。


よってイギリスの伝統的な投資銀行は「商人」からとって「マーチャントバンク」と呼ばれていたのだが、そう考えると要はもとは日本の商社の形態に近かったわけで、逆になぜ日本と違って貿易部分が切り離されていったのかなど興味深い。
 

そのマーチャントバンク達も、80年代のイギリス金融ビッグバンで既存の特権が自由化されてしまい、容赦なくアメリカの投資銀行に吸収されていくのだが、最後までなんとか残っていた組の
代表格がベアリング証券である。
 

このベアリング証券も、最後はニックリーソンというトレーダーの巨額の損失隠しでつぶれるわけだが、自分もトレーダーのはしくれとして、このおっさんがなぜ負けまくったのか、なぜ隠そうとしたのか、最後にどこで「ああもうあかん」と諦めて海外逃亡したのかは興味深い。
 

昔本で読んだ限りでは、たしか日本株を基本的にロングしていて、阪神大震災で相場が下がって大打撃を受けた後、今度は同じ日本株オプションのショートストラドル(こんなの↓)0a598d67618ff9d0133b156ebeb96fb3.jpgで賭けに出た










のだが、やっぱりダメでした、というストーリーだったと記憶。最後にとったポジションは、相場が動かない場合に儲かるものなので、地震で相場が荒れる中でここにいくのはやや根性ありすぎ、というか危なすぎなのだが、察するに手元流動性が全然なくて、とりあえず手前で金がほしかったのだろう。ただ、これでは死ぬ前の時間稼ぎにしかなってないが。。。


なんだかなあと思うが、この世界では損失隠しはままある話で、自分だったらどうするか、自分が上司の立場だったらどうコントロールするかなど、リアルに考えていきたいと思う。<
 

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