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ロンドンで働いてみた

Cambridge MBAを2010年夏に終了後、そのままロンドンで仕事してみています。 ここでの体験を日本で役立てられるよう、日々勉強しています。
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11.21.15:36

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  • 11/21/15:36

12.20.07:03

イギリス的組織での同僚との会話と、今更の気づき

今日で渡航後、473日目。早いもので2010年も年末。日本の仕事に戻るまでにあと8カ月程度。

今日は、ここに来てちょっと困ったなという話。
 
 
 
自分で言うのもなんだけど、もともと、俺はかなりジャパンラブな男である。
 
そもそも留学しようと思ったきっかけも、エネルギーの仕事で日本側が海外勢(もっと具体的には中東の国)にケチョンケチョンにされるのを見て、しかも自分たちがそれに対して何もできないのを見て、これじゃあかん、この調子で日本ベースで成長しても、こいつらと互角にやれないのでは?と思ったからだ。
 
だから、その頃書いたMBA入試のエッセイを見ても、かなり熱い。ジャパンいっぱい。今にも2.26事件でも起こしそうな勢いだ。
 
そのへんの思いは今も基本的に変わらずきている。だからこそ日本企業をネタにしたブログまで書いちゃって、色々悩んできた。
 
 
と、ここへ来て、最近あった話。今いる会社の同僚で最も忙しそうな感じなのが、ロシア語ができる女性(今の国籍はリトアニア人だけど、人生の大半はロシア育ち)。やはり伸び盛りのロシアに対応できるということで、一日中常にロシア語で電話している。
 
その彼女と、最近こんな会話をした。
 
俺:Are you going back to Russia in Christmas holidays?
彼女:No, I will stay in the UK this time.
俺:Do you think you will work in Russia in the future?
彼女:No, I prefer to stay in the UK and make best use of my language skill as Russia is my key client.
俺:But I suppose Russia has more growth potential and opportunities than the UK?
彼女:Probably, but I don’t think I need to stay there to use its opportunities.
俺:Umm, OK...
 
この会話の中で彼女が「ロシアはkey clientなので」と言った時、なんだかすごく違和感を持った、というかイラっときてしまったのだけど、多分それは、文脈はともかく、自分の国を、客です、以上。と言えてしまう感覚がなんか寂しいなと思ったのだと思う。これが日本人内の会話だったら、この非国民め、ばりの返しをしていたかもしれない。
 
 
だけどよく振り返ってみると、むしろこの感覚は俺が今までイギリスで会った中国人やインド人、ヨーロッパの他の国の人にも共通していて、別に珍しくはない。まあ帰ってもいいけど、帰らなくてもいいよね、特にこれって言ってやることもないし、くらいが普通である。こんなことMBAの時に既に同級生から感じていたはずなのだけど。
 
 
そう考えると、逆に俺はなぜそんなに日本のことで思いつめているのだろう、何をそんなにジャパンジャパン騒いでいるのだろう、と悩みだしてしまった。
 
思えば、今までの人生が全て日本ベースで、かつキャリア上もずいぶん日本に寄りかかった仕事をしてきたので、これからはなんとか国に貢献できないか的な考え方をしてきた。でも考えてみれば、一介の営業マンがわざわざアイデンティティを国に求める必要は無いわけで、政治家でもないのに日本日本言うことはむしろビジネスの視野を狭めることにもなりうるし、どこかで判断を歪めかねない。
 
自分に対してよりきつい言い方をすれば、他に特に強みもアイデンティティもないのでとりあえずジャパンを軸に据えてみてただけじゃねーの?とも言える。だとすると、それって相当ナイーブな判断だ。きっと、本来自分が個人として磨くべき教養や価値観を曖昧なままにして、既存の考え方をよしとしてきた部分があるのだろう。
 
 
こんなこと言いだしてしまうとこれからの自分のアイデンティティのよりどころに非常に困ってしまうのだけど、思ってしまったものは仕方ない。イギリスにいるのもあと8カ月、ハードルが上がってしまった感があるが、なんとか頑張りたいと思います。
 
ちなみに今の会社とは契約が切れるタイミングで、色々考えたのだけど、別の会社に移ります。このへんはまた。

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12.01.23:10

イギリス的社会における組織運営2. 「平等」

イギリス大企業での発見その2は、「平等はタダでは実現できない、でも何よりも重要」ということ。


いまどき、差別はいいことだなんていう人は誰もいないだろう。人種、性別、宗教、なんでもいい。そう、差別は悪だ。我々は平等でなければならない。

では、ことビジネスにおいて、なぜ平等が重要なのか?それは被差別集団のやる気を決定的に下げるからだ。グローバル企業において、これは特に重要だ。グローバル企業では従業員のバックグラウンドは多種多様で、そして一見しただけでは分かりにくい。でも本人たちがそこにアイデンティティを感じている以上、差別の顕在化は従業員によるストライキ、訴訟、一斉退職を容易に引き起こす。

イギリスのEquality Act("平等法")におけるDiscriminationの定義は大きく二つ。


1. Direct Discrimination - 直接的差別
A person (A) discriminates against another (B) if, because of a protected characteristic, A treats B less favourably than A treats or would treat others.

弊訳:ある人Aがある人Bを、Bの保護されるべき性質(年齢、障害、既婚/独身、人種、宗教/信条、性別、性的志向)のために他の人より冷遇した場合、これは差別である。
 

2. Indirect Discrimination - 間接的差別
A person (A) discriminates against another (B) if A applies to B a provision, criterion or practice which is discriminatory in relation to a relevant protected characteristic of B's.

弊訳:ある人Aがある人Bに対し、Bの保護されるべき性質に関連する差別的な条件、基準、慣行を適用した場合、これは差別である。


1.は分かりやすいと思う。要は、黒人だから部長になれない、とか、イスラム教だから採用しない、とかはダメです、ということ。

2.はちょっと分かりにくい。もっと詳しい解説をググると、長いけど、


"Indirect discrimination occurs where the effect of certain requirements, conditions or practices imposed by an employer or education provider has an adverse impact disproportionately on one group or other. Indirect discrimination generally occurs when a rule or condition, which is applied equally to everyone, can be met by a considerably smaller proportion of people from a particular group, the rule is to their disadvantage, and it cannot be justified on other grounds."

弊訳:間接的差別は、雇用主や教育者によって課される要求、条件、慣行が、特定の集団だけにとって不利な効果をもたらす時に起きる。一般的には、全員に適用される社内ルールや条件が、グループの一部の人にしか守れない場合、守ると不利になる人がいる場合、またはその他の理由で正当化できない場合が間接的差別である。

要は、「お前はイスラム教徒だからクビだ」とか言われないまでも、「お祈りを行うべき時間に毎日営業会議がある」とか「社員食堂でトンカツ以外の選択肢がない」とかはダメだということ。



さて、これらを厳格に守るイギリスの大企業で何が起きるかというと、1.の直接的差別に関しては言うまでもなく、この点に関する教育は入社時にまる半日かけて行われ(俺のような短期労働者でも受ける)、その後も厳重にチェックされる。


カルチャーショックだったのは2.の間接的差別に関してで、例えば5時半以降は原則、正式な会議は禁止。なぜかというと、出席できない人がいるから。その時間だと、子供を持つ親や、病気、宗教などで当然出られない人がいる。その人達の権利を守るためには、みんなそっちに合わせなさいというのが会社のメッセージだ。


これは日本的な「気合いでがんばる」「長時間働く人が偉い」みたいな文化からすると相当チャレンジだ。個人的に、こういう文化自体が大嫌いだが、意外と「日本人の勤勉さが日本の競争力の源泉」みたいな論説は多く(俺はこういうろくに分析もできてないでロマンスに逃げる論説も嫌いだ)、これをやるとなると、弱者に合わせるなんて組織として退化じゃないか、とかいう人も必ずいるだろう。


だが、要は平等とは、かっこいいお題目ではなく、コストをかけて行うべき施策なのであり、そこでは今までのマインドセットの変化が必要だということだ。グローバル企業になるならば、「一億総火の玉」みたいな根性論ではなく、組織の多様性とそこから生まれるアイディア、リスクヘッジなどをとるべきだ。

そもそも日本企業の場合は、1.の直接的差別すら排除できていない。日本採用組と海外採用組の待遇に圧倒的な差がある、とか、日本人で会議やる時に非日本人を呼ばない、とかもう最低である。今から一つずつ直していかねばならないが、その前にどこかで訴訟でも起きるんじゃないか、と心配でならない。やられたら変わるのかもしれないけど。

11.17.09:08

イギリス的社会における組織運営1. 「コミュニケーション」

なんだかんだであっという間に時間は経ってしまうわけで。。。今の会社に来てからもう2カ月以上。正直、順調です、ぼちぼちやってますとは言えない毎日ではあったが、その分大変勉強させて頂きましたという感じ。

自分の仕事ぶりとかはさておき、この2カ月、チームのマネジメント補佐みたいなポジションに置かせてもらったので、こっちの人の働き方だけはだんだんと飲みこめてきた。

日本のひとつの会社でしか働いたことのない俺にとっては新鮮なことばかりだったので、これからちょっとずつ紹介しようと思う。



まず1回目は、「ほうれんそう」的思想は通用しない、ということについて。

おそらくどこの日本企業でも、とにかく周りに上司や常に報告しなさい、相談しなさい、コミュニケーションよくしなさい、というのはある種の決まり文句だと思う。俺も別にコミュニケーションがいいこと自体を否定するつもりは全くない。
 
ただ、「ほうれんそう」的な考え方は、そもそも「ある程度のコミュニケーションが最低限はとれている集団である」ことを前提にしている、ということは忘れてはならない。
 
イギリスの伝統的な大企業で働いてみて驚いたのは、想像以上に各人の役割分担が決まっているということ。
 
だいたい採用の時点から、こっちでは相当専門的に職種を絞る。日本みたいに営業もやって工場にも行ってなんていう人事異動が存在しないのはもちろん、同じプロジェクトの管理部署内でも、General Manager、Client Manager、Change Manager、Interface Manager、Document Controller、などなどかなり細かく担当を分ける。各人に期待される職務内容は着任時点でびっちり決まっており、評価基準もその中で明確化されている。
 
難しいのは、人々を専門的に分けるので、ほっとくとコミュニケーションをとらない、というか、事前にJob Descriptionの中で、君と君はこんな感じでコミュニケーションしなさいと決めない限り、別にする義理もないということ。マネージャーとしてはそこまで考えてチームを組織する必要がある。
 
 
しかもイギリスは完全多国籍社会であり、俺の周りも純イギリス人、中国系イギリス人、インド人、モーリシャス人、リトアニア人、俺、みたいな感じで、言葉は同じ英語だが当然仕事のペースも違うし、それぞれの契約形態もバラバラ。

だから仲良くできればもちろんその方がいいのだけど、仮に仲が悪くてもチームの仕事が成立する決まりを作っておかなければならない。
 
日本ではこういう心配はないから、仕事内容を事前にしっかり決めずに「ほうれんそう」で事後調整することも可能だけど、要はこれは環境に恵まれているだけで、ユニバーサルに通用するものでもなんでもない。
 
 
これを拾って日本人のマネージャーが「あいつらはほんと何にも言ってこなくて」とか「外人だろうと何だろうと、できる奴なら自ら考えて行動(自分のところに相談)するはずだ」とか文句言ってるケースはよく見るが、これはとんだお門違いだ。ここで「できる奴」と言われてるのは日本、もしくは東アジア的なクローズドな文化を理解できる人なだけであって、欧米的な文脈においてはそれは重要ではないだけだ。
 
さっきも書いたように、マネージャーはチーム構成員の行動まで事前に理解していなければならないし、たまたま自分の文脈に合わないからと言ってブーたれててもしょうがないのだ。
 
次回はまた別の視点で。
 
 
 
あとどうでもいいけどこの動画は秀逸だと思ったので。なんかアメリカの、というか今の世界のフラストレーションを代弁してる気がする。ゴールドマンのくだりのあたりはほんとその通り。
 

10.08.07:02

日本企業のグローバル化について、その2

前回は企業の人材の国際化について、Perlmutterの論文を使って、4つの段階を説明した。ここで忘れてはならないのは、Ethnocentricはレベルが低い、Geocentricはレベルが高い、と捉えるのは誤りだということ。

要はその企業にとって何が競争力の源泉なのかを見極めた上で、それを最大化するような組織にするのであり、「みんなが国際化するから俺もやってみよう」というのでは全然ダメということ。


日本人が全てやってることからこそ戦えるんです、という業種であれば別に無理する必要ない。例えば日本国内だけがマーケットの飲食業とかであれば、組織の国際化は不要だろう。まあそれでも最近はワタミとか海外出てたりするけど。


その上で、やはり国際化すべきであれば、絶対にやらねばという確かな根拠を持って取り組むべき。前も書いたけど、特に大企業であれば既得権益の反対派は必ずいる。しかもだいたい改革派より「偉い」。



さて、そこで企業が国際化しなければならない根拠、理由をもう一度考えたい。


よく言われるのは、「海外の優秀な人材の獲得の為」というもの。楽天やユニクロの英語公用語化問題でもこれが中心の議論だったように思う。

たしかに日本の人口が減る中、「優秀」な層の割合が一定とすれば、優秀人材の絶対数は減るわけで、それを補うべく優秀さを海外に求める、という議論は成立する。俺もこの議論には心情的に同意しなくもない。

ただ、この理由づけの最大の問題点は、そもそも「優秀」を定義づけるのが難しい中、「なんで日本人じゃダメなの?日本人も優秀な人まだまだいるじゃん」というツッコミに勝てないからだ。

特に守旧派のおっさんになればなるほど、「自分=日本人=優秀」という三段論法でとらえがちなので、「海外の優秀な」とか言った途端にもう拒否反応だろう。これでは社内で話を通せるわけがない。

個人の顔の見えにくい大企業で話を通していくには論理力が全てであり、何かを変えるには誰もが反対できない論理展開が必要だ。「海外優秀説」はその観点では弱すぎる。



そこで、俺が考える、反対派を黙らすことのできる理由とは、「スピード」である。

総合商社の例で言えば、そもそも商社の競争力の源泉は誰にも負けないアジリティ(素早さ)と情報力だったはず。ただ、その競争力の源泉はネットの登場で大きく損なわれており、いまや商社に頼らなくてもググればたいがいのことが分かってしまう。

いま商社はたまたま期間損益で儲かってるので、競争力が失われてないように見えるが、これはネット登場以前の昔に築いた資産、信用でつなぎで食ってるだけであり、本質的には、会社のコアはどんどん空洞化している。


よって商社が本来の意味で競争力を取り戻すには、従業員という人的資産を使って今までより広く、深い(ネットでできない)ネットワークを再構築する必要がある。

これはもちろん日本人でも頑張ればできる。できないわけない。
こっちもそれなりには「優秀」だから。

ただ、それをやるのに、何年かかるの?ということ。俺だって、例えば5年もあればインドの化学品業界に隅から隅まで精通することはできると思うが、いまどきそんなスピード感でいいわけない。それがインド人の同業界トップ層を連れてくることができれば、もう一瞬。

要はM&Aと同じで、人を採ることで時間を買うのが国際化の眼目である。商社に限らず、いま日本人だけでやることが前提になってる会社では、やりたくてもM&Aができない状態なのである。これはビジネス上のオプションという観点で、極めて制約が大きいと言えると思う。


よって俺は、国際化する理由づけとして、「優秀説」ではなく是非「スピード説」をとってほしい。この大義のためなら、いま組織を変える労力は決して惜しくないと思う。

そして出来上がってしまってないスタートアップ企業には、将来にわたるアジリティの確保のため、是非最初のころから日本人以外が働く前提でやってほしい。変えるのは大変だ。最初から組み込む方が何倍も楽。幼馴染の矢野君がやってる会社などは、その意味で非常に正しいと思う。
http://www.halo-web.com/member/index.html



次回からは、今いるイギリス企業で何が日本の伝統的な会社と違うか、ちょっとずつ書いていきたいと思う。
 

10.03.18:18

日本企業のグローバル化について、その1

ロンドンで仕事を始めてからあっという間に1カ月がたった。

 

学校を卒業する時に書いた、「これからは日本企業のグローバル化について書きます」という宣言が守れてないので、これからしっかりしていきたいと思う。


グローバル化、というとやや焦点がぼけるけど、もっとはっきり言うと、いわゆる日本企業が、日本人以外の人材をどう活用してどう成長戦略に生かすかというテーマだ。


なぜこのテーマなのか、というと、仮にもイギリスで1年間、外側から日本を見てきて、日本の将来を考える上で、これが最も大きなチャレンジになりそうだからだ。これは業種問わず、会社の大きさ問わず、(これから伸びていきたい)全ての日本企業に共通するテーマだと思う。


自分の所属する総合商社もこの例に漏れず、というか商社はむしろこの分野では遅れていると言っても過言ではない。結局総合商社というのは日本の明治時代以降の急速な成長にうまく乗っかり、時にはそれをリードしてやってきたのであって、日本自体が細っちゃいますという状況はかつて経験したことがない。

だから、海外のオペレーションも全て日本人がやってるし、日本の経済界に支えられてきたこれまではそれでよかった。

ところが、言わずもがなだがこれからはそれではやっていけない。変わらなきゃいけない。


しかし、ここが難しいのだけど、みんなが変わらなきゃいけないと思ってても、なかなか変化は起きない。なぜなんだろう?どうすれば本当に変われるのだろう?というのが目下一番の興味だ。

 

いわゆる企業の国際化を語る時、その企業の現状を説明するのに分かりやすい目安は、かなり古典的な(1969)論文なのだけど、WhartonにいたHoward Perlmutterという人の分類がある。これによれば、企業の国際化度合いには


・Ethnocentric: 本国の人間がauthorityを持ち、本国からの派遣者が各国のビジネスを監督
                            する。戦略も本国が決める。海外人材はアシスタント的役割。ビジネス上の
                            意思決定は本社が行う。
・Polycentric: 海外の店では現地の人間が採用され、マネージャーになる。海外人材が本社
                         の要職につくことはないが、現場では自治が認められる。逆に本社の人間が
                         現地に行くことも少なくなる。
・Regiocentric: 海外の店をまとめた地域本部的なものができ、その中で意思決定がなされ
                             る。本社は地域オペレーションに干渉せず。現場採用の人間は地域本部で
                             出世していく。
・Geocentric: 国籍は全く関係ない。現地採用された人が本社の社長になることもある。本社
                         からの一方的な伝達ではなく、地域との双方向コミュニケーションで戦略が
                         決められていく。


の4つの段階がある。イメージ図はこれがわかりやすい。


これを使うと、おそらくほとんどの日本企業はEthnocentric段階。商社もそうだし、最近の分かりやすい例で言えば「日本の社員全員がグローバル人材」宣言をした日立なんかはこの好例だろう。要は全部日本人でやります、と言ってるのだから。


リーマンとくっついた野村證券では、海外のコーポレート部門は旧リーマンの人に任されるようになってきている一方、海外から日本人が引き揚げる例が増えている。これはPolycentric段階、もしくは徐々にRegioncentric段階に入りつつあると言える。


逆に言うと、いわゆる欧米系の企業が国際的、といっても、Geocentric段階まで行っているかというと、みんながみんなそうではない。要はその企業にとって何が大事かである。

 


さて、ここまで書いて、「ではEthonocentric段階にある日本企業が、何故これからもっと国際化しなければいけないのか」をしっかり考える必要があると思う。

なぜなら、要はここでの考察が足りないから、軸がブレて「いいよ別に国際化なんかしなくて」という勢力に負けてしまうからだ。忘れてはいけないのは、大きな組織になればなるほど、反対する人は必ずいるということ。

「国際化することが自動的にいいこと」みたいなナイーブな思い込みではこういうおっさんに絶対に勝てない。

 

よって、俺の考える国際化する理由なのだが、この次のエントリに続きます。